直心影流の型について
刃挽の形を行ずる山田次朗吉先生(打太刀 右側)と大西英隆先生(仕太刀 左側)
昭和四年十一月二十三日 国立有備館道場にて
一 法定 (ほうじょう)
当流の木刀の型です。流祖松本備前守尚勝が、鹿島の神に朝夕日夜祈り信心の奇特にて或夜夢あり。猶一つの巻物を授け賜りたり、是則神傳靈劒の太刀筋なり。是より法定の型の太刀筋生まれた。さらに四代小笠原源信斎が、宋(中国)から帰国後現在の型に完成したものです。
この型は八相發破("春")〈"後の先"〉、一刀両断("夏")〈"先々の先"〉、右転左転(または右旋左旋とも "秋")〈"変化の太刀"〉、そして長短一味("冬")〈"太刀の長短の得失は我が進退に有りて決して刀の長短に無き")〈"我體の心気陰陽昇降三焦虚實往来して體浮かべば気沈むの理合を教える"〉の四本から成ります。当流の型の修行はこの法定に始まり法定に終わるといっても過言ではありません。
この型を学ぶ目的は、一足一呼吸一阿吽の呼吸を厳しく行いつ、"后来習態の容形を除き、本来清明の恒体に復するに在り"と十五代山田次朗吉は教えています。
二 韜 (袋竹刀―ふくろしない)
四代小笠原源信斎が制定した韜(三尺三寸)の形です。素面素小手で使います。この型は極めて実戦的で奇正変化に富んだ技に満ちており、破軍星の七曜(北斗七星)に象り、龍尾(左右)、面影(左右)、鐵破(進退)、松風(左右)、早船(左右)、曲尺、円連(刀連体連)の、七種表裏十四本の技から成ります。
龍尾(後の先)は孫子の兵法の長蛇の備えと云ふ処を以って名とした
面影(先々の先)打ち込む事間髪を入れずを以って名とした
鐵破(突きを入れる業)古語に豕猪怒り牛破鐵山と云うことばから鐵を突破する
勢いをもって名とした。
松風(敵の異体対し必ず手の内に油断なく松風の音の絶えざる如く行う業)
足木に在って鷲の攻撃をかわす猿の動きに別名猿回とも云う
早船(変化早く滯らずを旨とする業)は谷川の岩間行船の早きを名とした
曲尺(相手の打込む太刀を外し抜く業)総じて敵に対する場合に大事の曲尺あること
(間合)を教える。小笠原源信齋が明国で張良の子孫に鉾の術八寸の延曲尺の傳
を得たものである
圓連(後の先の変化に圓く連なり一致連続の業)気剣体一致にて不可離を教ゆ依って
圓く連なるを以て名とした。
三 小太刀 (こたち)
この形は、短をもって長に対する真の勇気の修練を求めるものです。形の理歌は、"小竹刀(小太刀のこと)は手足の業のしげきゆえなお心をば丹田におけ"と教えます。
風勢、水勢、切先返し、鍔取、突非乙非(とっぴおっぴ)、円快の六本の技から成ります。この形も戦場の匂いの強い実戦的なもので、相手の懐に飛び込ませる技は生半可な気持ちでは行じられるようなものではなく、相手の陰嚢、顎を連続的に蹴り上げる技などがあります。
四 刃挽 (はびき)
当流の真剣の形です。法定の裏の形にして"免許以上に非されば之を遣うことを厳禁す。是古来の流則なり"と15代山田次朗吉は伝えています。形の理歌は、"業もややととのいてうつ刃挽なりつるぎを生かす道をたずねよ"と教えます。
法定の技を発展させた四本の形による、手の内の強弱、刃筋の良否の吟味正修を通じての人格の修養を目的とします。刀法、進退は円に乗る如く、そして姿は"位大納言の如く"気品を持って行ずることを求める形です。
五 丸橋 (まるばし)
当流の修行の未到達する究極的悟り(神ながらの境地)なくしては行ずること能わざる形といわれています。"元来不立文字に属する立禅の真体にして動静一致の修道なり"と15代山田次朗吉は教えています。
先述の通り、かの山岡鉄舟が、"此の形の修行があれば、禅は不要である"とまで感嘆したと伝えられています。真剣にて、打太刀は小太刀、仕太刀は大太刀をもって行じます。八相剣・提剣・水車剣・円快剣・丸橋剣の5本からなり、15代山田次朗吉の行ずる姿を著作"鹿島神伝直心影流"においてつぶさに見ることができます。